吉澤秀香さんのこと
女子美術大学学長  佐野ぬい
「ニガ、頑張れ!」
  思わず、叫んでしまう私です。
毎年2月、渋谷の東急百貨店で開催される『現代女流書100人展』での席上揮毫の時には、私はどんなに忙しくても時間を割いて出かけます。
ニガが揮毫を始める時、人垣をかき分けて最前列にたどり着き、津軽弁のイントネーションで叫んでしまうのです。

ニガ。吉澤秀香さんの旧姓・二唐テツさんを、私たち県立弘前高等女学校(現青森県立弘前中央高等学校)の同期生たちは、愛情と親しみを込めてそう呼んでいます。
昭和20年4月、女学校に入学し、吉澤さんと私はなぜかウマがあって親しくなりました。

刀匠の家の長女で、小さい頃から書に親しんできた吉澤さんと、美術大好き人間の私。ジャンルが違っていても、表現することの歓びと辛さは同じですから、お互い惹かれあったのかも知れません。
彼女は、10歳で『九成宮醴泉銘』を、十二歳で空海の『風信帖』を臨書し、幼少の頃から溢れんばかりの才気を発揮していました。

女学校時代は、全校朝礼の時間に必ずと言っていいほど彼女への賞状授与があり、書道展に出品しては賞を独り占めしていました。
同期には、医者になったり名だたる出版社の編集者になったり学者になったりと、自分の考え方をはっきりと主張する学友がたくさんおりました。当時の担任、安藤タエ先生は「特別な学年だった」と述懐しています。

吉澤さんは書家をめざし、私は画業に入りました。

この同期のメンバーで、『たかみ会』という会を組織しています。吉澤さんが出品する展覧会や席上揮毫のお知らせをいただくと、首都圏在住の『たかみ会』のメンバーに声掛けして、連れだって出掛けて行くわけです。

私が、女子美の学長に就任した年も、『たかみ会』のメンバーと『現代女流書100人展』の席上揮毫を見に行きました。
吉澤さんが揮毫した言葉は「塞翁馬」でした。流転していく人生と、それに立ち向かっていく意志力、その力強い筆致に頬を打たれるような衝撃を受けたのです。
席上揮毫はある種パフォーマンスですから、作品として残すということはないと聞いていました。

でも、この「塞翁馬」は何としても私の傍に置きたいと思いました。今、女子美の学長室にその書が懸けられています。あの日、あの瞬間の、私のかけ声と吉澤さんの思いが凝縮している作品だと思っています。

私は、大学で教鞭を執り、「青」をテーマに絵を描き続けています。吉澤さんは、漢字の書家として、青森県のみならず毎日書道展を中心に書道界を牽引する立場になりました。
しかし、書作はますます若々しくなってきております。

時に激しく時にしなやかに、時に逞しく時に優しく、吉澤さんの筆は紙面を舞い、飛びはね、流れ、確固とした造形をなし、私の心に迫って参ります。同じ表現者として、その凛とした筆致に、吉澤さんの人生そのものを感じ、啓発されるのです。

ありがとう、吉澤さん。