吉澤秀香書展に寄せて

美術評論家  田宮文平

いつか、りんごが撓わに実る津軽の大地を鯵ヶ沢に向かって車で走ったことがある。
まさに快晴の日で岩木山が、凛とした姿をくっきりと見せていた。
吉澤秀香の人と書を一言で形容するなら、この凛としたイメージがピッタリとする。
「鉄の女」といえば、イギリスのサッチャー首相であるが、吉澤秀香はまさに正真正銘その人である。
本名を「テツ」という。
主宰する鐵心書道会の謂われもそこに存在する。

吉澤秀香の厳父二唐國俊氏は、津軽藩縁りの伝統を継ぐ刀匠である。
それで、第一子には「鐵」と命名することを決めていたのではないか。それが女子だったので、「テツ」となったのであろう。
名は体を表す、という。

吉澤秀香の人と書に常に意志的なものを感ずるのは当然であろう。
吉澤秀香の個展は、大小20数回に及ぶが、わたしは弘前で、東京でよく拝見している。

また、わたしは青森県展の審査員を3度つとめた関係で地元でもよくお目にかかる。その中でも強烈に印象に残っているのは、平成17年(2005)に中三弘前店で開いた「吉澤秀香『書の世界W』〜過去・現在・未来へ」である。

このとき発表した『伝嵯峨天皇李■百詠断簡』の二十連幅の超大作には圧倒されたものである。

吉澤秀香は、故明石春浦に師事して以来、毎日書道展でメキメキと頭角をあらわした人であるが、この李■詩の書などを見ると、現代書の父とも言われる比田井天来と弘前の北門書道会の縁が根底にあるものとおもわれてならない。
おそらく幼少期からその薫陶を受けたものとおもわれる。 今回の東京での個展は、久しぶりに満を持してのものであろう。

御書樂毅論は、光明皇后が王羲之の名筆を臨したものとして古来、書道史に名高いものであるが、それを吉澤秀香は、縦八尺×横二尺の十五連幅の超大作に仕上げている。その凛とした姿には圧倒されるものがある。
「玉露」云々の杜甫詩による隷書は、半切七枚である。ここには情趣を宿しながらも、やはり、凛としたものがある。
『一以貫之』の少字数の書は、まさに書者の信條そのものを作品化したもので、まことに意志的で力強い。
『櫻、さくら』を貼り交ぜにした作は、弘前城の春爛漫の風景を彷彿とする。いつか、ねぷたのご案内をいただいたとき、吉澤先生は「長い長い冬を前にして一瞬を華やぐのですよ」と言われた。

それならば、弘前城の桜の賑わいは、春を迎えた喜びの爆発であろう。 このたびの東京での久しぶりの個展への期待も、そのようなさまざまのイメージがベースに確固として存在するからである。