イスタンブール・・・ 筆が築くトルコとの友情。

トルコのイスタンブールで五月末に開かれた「イスタンブール・ジャパンフェスティバル一九九四年」に参加した。

日本からの参加総数は千二百四十人で、うち私を含め書道関係は四十人だった。
時差六時間、所要時間は所要時間は約十二時間である。
同行の海部俊樹元首相は、十年前は二十四時間かかったが、日本とトルコはこの十年間で大変近くなった、と話された。滞在中は晴天に恵まれ、アジアの街並みとヨーロッパの市街風景がみられた。

イスタンブールの朝は美しい。モスクから流れてくる祈りの声で目を覚ました。
トルコは大変なインフレ。トイレに入ると五〇〇〇トルコ・リラ、ビールは七万リラ、美術館で求めた小さな本が二〇万リラ。私が飲んだビールは二百三十三円くらいになる。

弘前の自宅を出発するとき、治安の面で心配したが、空港到着から警備の警官が前後、左右につき、船に乗ると護衛艦がつき、あまりの気の配りように申し訳がないように思ったほどだった。 町ではロングのワンピースで歩く若い娘、スカーフをかぶった女性、時には黒で身を包んだ女性、彫が深くヒゲをたくわえた男性……。女性も男性も美しかった。

トプカプ宮殿の庭での前夜祭では日本酒の鏡割りが行われた。そしてフェスティバルの開幕。
私たちの書道コーナーには多くの人たちが集まり、それぞれ筆で名前を書き、また、好きな一文字を書いた半紙を大切にしまっていた。お土産に準備した「うちわ」や「はし」に大喜びだった。

デモンストレーションの時間になり、私は二尺に八尺の大画仙紙に「春蘭秋菊」「花意竹情」の四文字を書いた。二日目には「柏葉寿」の三文字。大筆で全身で書き上げた。割れるような拍手に、しばし自分を忘れた。

米国、中国でも揮ごうしているが、トルコの人たちの前での揮ごうも、又違った意味があるように感じた。私の作品に私の作品に雅印を押してほしいと、どこまでもついてくる人もいた、高校や大学の日本語課の生徒さんが、四国・松山出身の女性の先生と一緒に会場に来て、盛んに書に関心を示していた。
トルコと日本のきずなをより深くする国際交流の役目を、書を通して果たせたと思っている。
(平成6年6月21日毎日新聞掲載・一部抜粋)